わさおの俳句ポスト投稿・「季語について」
2015年7月17日、「俳句ポスト365」に2句を初投稿した。
「俳句ポスト365」は、愛媛県の松山市が運営する俳句の投稿サイトだ。毎週新しい兼題が出される。
「俳句ポスト365」に投稿することにより、少しでも俳句作りの腕を上げていきたいものだ。そのため、兼題が何であれ、とにかく挑戦して俳句を作ることに決めている。
私にとって記念すべき「俳句ポスト365」への初投稿の兼題は、「ハンカチ(夏の季語)」だ。
以下に、私が作った投句を掲げる。
津軽わさお作
日の丸弁当 ハンカチでくるむ 終戦日
終戦日 白きハンカチ 涙ふく
どんな俳句を作るか。思い浮かんだのは、ハンカチは、汗を拭いたり、手を拭うだけでなく、弁当を包むものだということだ。
中学生や高校生の頃、母親が弁当を作り、大きめのハンカチに包んで持たしてくれた。遠い日々の思い出だ。
ハンカチ→弁当の流れである。
そして、今は、戦後70年だ。そこから、戦後70年→戦争→日の丸、日の丸弁当→終戦→終戦日→平和→貧しい日本→日の丸弁当→ハンカチでくるむ=平和、安穏という具合に、津軽わさおの頭が回転した。結果、俳句ができた。
日の丸弁当 ハンカチでくるむ 終戦日
もう一句は、戦後70年→終戦→終戦日→多くの人々の犠牲→鎮魂の祈り→白いハンカチ→涙ふくの流れだ。いたって、シンプルな一句である。
終戦日 白きハンカチ 涙ふく
以上の二句における「ハンカチ」は、単なる汗拭き道具としてのハンカチではない。大げさに言えば、崇高な精神性の象徴である。
自分としては、自信作だ。ウェブで俳句投稿フォームに記入し、ボタンを押した。これで、記念すべき初投稿は、完了である。
そして、改めて、兼題「ハンカチ(夏の季語)」の説明を読んだ。その説明に曰く。
「ハンカチ(夏の季語)」
暑い季節に汗を拭くための「汗拭い」としては最も一般的。ハンカチ自体は一年中使うことから季節感にやや乏しいが、季語としては汗を拭く目的のものをいう。
その瞬間、ガァーッン。大鐘を叩く大音声が聴こえた。
つまり、私の俳句における「ハンカチ」は、崇高な精神性の象徴であり、単なる汗拭き道具ではない。しかし、これでは、汗拭き道具としての「ハンカチ(夏の季語)」に沿ったことにはならない、と判定されるだろう。
それでは、私の自信作の二句は、「ハンカチ(夏の季語)」に該当しないがゆえに、季語がない俳句ということか。
鬱々としてネットサーフィンをしていたら、「終戦日」は、第二次大戦の終戦を表す8月15日のことを指すから、夏の季語になるという記述に出くわした。
私は、戦争の悲惨さに関連する象徴として「終戦日」を意識し、表現しただけであり、季語だとはつゆ思っていない。しかし、「終戦日」は、立派な、夏の季語であるという。
結果的に、津軽わさおは、「俳句ポスト365」が指定する汗拭き道具としての「ハンカチ(夏の季語)」に沿った俳句は詠んでいない。が、「終戦日(夏の季語)」を用いた俳句の中に崇高な精神性を表す「ハンカチ」を詠み込んだ、ということだろう。
まあ、「人生日々挑戦、青春は一生」であり、「勉強も一生」である。
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