わさおの俳句教室日誌・「植田」~15.06.10分の宿題
2015年5月13日から、何十年来の親友、Kさんと一緒の俳句教室に参加させてもらっている。
俳句教室は、毎回、宿題が出され、俳句教室の開催前に、俳句を3句作らなければならない。これがなかなか簡単にはいかない。まあ、あれやこれや考えを回すのは、ボケ対策にはなるだろう。
次回の宿題の一つは、「植田」である。
田植を終えて間もない田のことを植田という。植えて間もない田だから、苗も小さく、苗が植えられている周囲の空間には、青空や風景が映る。それが1か月もすると、苗が成長して全体が青々と埋め尽くされる。この場合を青田と呼ぶ。
このような植田を季語として、いかに俳句を詠むか。
思案投げ首を続けていたら、ふと、合鴨農法のことが浮かんだ。
田植え後2週間ほど経過した田に、生後2週間前後のアイガモのヒナを放す。アイガモは、成長するにつれ、雑草や害虫を餌として食べるし、排泄物が稲の養分となる。また、アイガモが泳ぎ回ることで、土が撹拌され、肥料分の吸収が良くなるなど、稲の成長が促進される。
田植えと同時くらいに生まれたアイガモのヒナが2週間後に投入され、以降、アイガモは、一生懸命働く。その様子は、健気であり、可愛くもある。が、それだけでなく、アイガモを導入することで、化学肥料や農薬の不使用によりコストの低減が図られ、環境にも優しいという利点がある。
そして、やがて出来秋を迎える頃、稲は、たわわに実り、アイガモは、成長し、肉づきが良くなっている。
アイガモは、言わば合鴨農法の功労者であるが、稲が刈り取られるとともに、肉にされてしまう。
考えてみると、アイガモは、合鴨農法の功労者にならなくても、いずれは肉にされる。だから、合鴨農法に活用され、はいご苦労さん、の結果として、肉にされるのでも、結局同じじゃないの、と指摘する向きもあるだろう。
しかし、さんざん働かされ、合鴨農法に功労を発揮したのに、ご褒美は貰えず、肉にされるのでは、なんか悲しいね。
それと、そういうことを仕出かす人間自体、悲しい存在だと考える哲学者もいるんじゃないだろうか。
虫を追い、植田に遊ぶアイガモたち。彼らを見ていると、なかなか風情があるのだが、その運命に思いをいたすと、気の毒になってくる。
そこで、ズバリ、一句を作ってみた。
わさお作
合鴨の行く末悲しき植田かな
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