高橋大輔選手・後輩たちは今、「町田樹選手、藪から棒」
藪から棒(やぶからぼう)という言葉がある。ネットの語源由来辞典に曰く。
「藪から棒を突き出す」の略。藪は草木が群がり中がわからず、急に棒を突き出すと驚くことから、意表をついた行動をすることの喩えとして、「藪から棒」と使われるようになった。
フィギュアスケート界にも、「藪から棒」が好きな選手がいる、というか、選手がいた、というか。
2014年12月28日付けのデイリースポーツの配信ニュースは、次のように伝えている。
① 日本スケート連盟は28日、全日本選手権終了後にフィギュア委員会などを開き、15年世界選手権(来年3月・中国、上海)に臨む日本代表を発表したが、代表に選出された町田樹(関大)がリンク上で突然、現役引退を発表。代表辞退を表明した。
「私事ではありますが、フィギュアスケート選手としての引退を本日、決断しました。つきましては、世界選手権の代表も辞退させていただきます」と続けた。
② 今後についても言及。「来年4月より、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士2年制に入学し、研究者を目指したいと思います。自らの力でセカンドキャリアを切り開きたいと思いました。今日、こうして発表できたこと、万感の思いです。新たな道で、ゼロからのスタートで、研究者を目指します。心から、ありがとうございました」と語った。
しかし、津軽のシニアブロガーが思うに、こうした町田樹選手のいきなりの引退発表、世界選手権代表の辞退表明というやり方は、本来、するべきではない。
町田樹選手は、24歳だが、同じく24歳の多くの若者は、社会人として、日々、試行錯誤を繰り返し、苦労しながら、実社会で調和しようと、懸命である。
今回のような、いきなりの引退発表、世界選手権代表の辞退表明というようなやり方は、実社会におけるやり方としては、許容されない。
こんなやり方をされると、困るからである。
実社会においてでなくても、日頃から悪評高きスケ連ではあるが、世界選手権代表選出→引退発表、代表辞退、ではたまったものでないだろう。いくら悪評高きスケ連に対してだとて、こんなやり方は、するべきでない。
そして、一番困ったのは、町田樹選手ファンのはずだ。世界選手権に向けて、さあ応援するぞ、と気合いを入れた途端、引退発表じゃ、たまったものでない。町田樹選手ファンに対する感謝の念があるのなら、こんなやり方は、するべきでない。
今シーズン、町田樹選手は、ペートーベンの「第九」を表現することに挑んだ。本人が「自分の120パーセント以上を出さないと形にならない」と語る。
しかし、形になったのは、グランプリシリーズ第1戦アメリカ大会だけだ。それも完璧な出来ではない。その後の第5戦フランス大会、グランプリファイナル、全日本選手権は、いずれもダメだ。
多くの町田樹選手ファンの前で、「第九」を「自分の120パーセント以上を出して形」にして観せたのならばいざ知らず、それはできず、突然の引退発表だ。それは、ないだろう、である。
そして、気になることがある。関西大学・アイススケート部のホームページに、2014年12月28日付けの町田樹選手による引退の挨拶が掲載されているのだが、その中に次のような一節があるのだ。
「今大会(全日本)での自分の演技を終えた結果、私は自分の引退を、本当に晴れやかな気持ちで本日(12月28日)の朝、決断することができました。ご指導頂いている大西勝敬コーチにも、本日その意志をお伝えしたところです。」
昨シーズン、町田樹選手がソチ五輪に初出場できたのも、そこで5位に入賞したのも、世界選手権で銀メダルを獲得できたのも、大西勝敬コーチのおかげである。
そうした恩人にして、苦楽を共にした大西勝敬コーチに対し、12月28日朝に決断した引退の意志を28日に伝えたのだという。12月28日朝に決断したのだから、その日に伝える。時系列的にはそうなるが、それでいいものだろうか。
やはり、種々考えれば考えるほど、「藪から棒」は、まずい。物事は、いきなりではなく、周囲の人々のことも考えるべきだ。
今回の町田樹選手の言動を振り返れば、彼の用意周到さが目立つ。引退の決断そのものは、12月28日朝にしたのだろうが、その前から十分用意してきたのは明らかだろう。
で、あってみれば、2週間前のグランプリファイナルで最下位と敗れた時点で、2週間後の全日本選手権出場をもって引退する旨を表明できたんでないの。
「そんなの町田樹選手の勝手でしょ」。そりゃそうだ。しかし、「藪から棒」に対する意見を述べるのは、私の勝手でしょ。
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