高橋大輔選手・「2014年10月14日、現役引退の日」
人生においては、永遠に記憶されるべき出来事とか年月日がいくつかあるものだ。津軽のシニアブロガーにとって、2014年10月14日はその一つになった。
2014年10月14日。この日、ネットで、「フィギュアスケートの高橋大輔選手が現役引退表明へ。午後に記者会見」という趣旨の配信ニュースが流れた。エッ、当然驚く。高橋選手が春先にした休養宣言は1年間であり、休養明けは、来年の春だもの。
配信ニュースが流れた瞬間、ツイッターでは、高橋大輔ファンの、ナンデ、ナンデのツイートが頻繁に流れ始めた。それとともに、 記者会見に関する情報も随時流してくれる。ツイッターというデバイスは、便利で、ありがたい。
おかげ様で、NHKの「情報まるごと」と日本テレビの「情報ライブ ミヤネ屋」で放送された実況中継を観ることができた。
高橋選手の現役引退に関する発言については、事後にネットの配信ニュースや新聞で知ることはできるが、やはり生テレビで知るのが一番だ。
テレビ画面越しに観る高橋大輔選手は、にこやかだ。ひと頃に比べて顔が細いというか、少ししまって見える。高橋選手の地元、岡山県における表彰式の中継では眼鏡をかけていないが、記者会見の席上では眼鏡をかけている。ふちなし眼鏡のようだ。ひげとあごひげ姿である。このイケメンは、どんな格好でもイカす。
にこやかで、さわやかな表情。高橋選手は、8歳の時からフィギュアスケートを始めて、今、28歳だ。20年間の文字通りの苦節があり、その現役を引退となると、今まで見てきたスポーツ選手であれば、例外なく、涙を流す。
しかし、高橋大輔選手に限っては、涙が一切なしだ。にこやかに、さわやかに、晴れ晴れとした表情である。
なぜなんだろう。
高橋選手は、記者会見の席上を含めて、さまざまに語り、記者とのやり取りがあった。その中で、高橋選手曰く。
「フィギュアスケート自体を止めるのではなく、競技人生からの引退。現役に未練がないわけではない。1回は復帰できるので、その辺も考えたい」
「アイスショーで滑るのは、楽しいし、好きだ。ただ、それだけじゃないという自分もいる。スケートに関わっていくのか、いかないのかという根本的なものを感じたい。スケートには関わっていくのがいいだろうとの思いはある」
津軽のシニアブロガーには、高橋大輔選手の真意はもちろん分からない。が、分からないなりに考えてみる。
高橋選手は、にこやかに、さわやかに、晴れ晴れとした表情で語っている。それを観ると、彼は、よほど考え抜き、もう迷うことなく、決断しているのだろう。
高橋大輔選手は、もはやフィギュアスケートという狭い世界に囚われることを止めたのだ。彼は、当然フィギュアスケートが好きだから、アイスショーでは滑る。しかし、現役を引退したのだから、スケ連などという摩訶不思議な団体に縛られることはない。
今後とも、高橋選手のフィールドは、フィギュアスケートである。それゆえに、世界中のフィギュアファンのみならず、フィギュアスケートの世界的専門家たちから絶賛されているのだ。だから、フィギュアスケートは、あくまでも高橋選手の基盤であり続ける。
しかし、今後、高橋選手は、フィギュアスケートだけの高橋大輔ではない。彼は、将来、フィギュアスケートのみならず、日本の、否、世界のスポーツ界そのものをリードしていく逸材となる。その思いを込めた時事五行歌を以下に掲げる。
津軽にて 大の未来を 夢に見る IOCのトップ 君担う
高橋大輔選手が、現役引退を表明し、一つの区切りをつけた。それに対し、ありがとう、ご苦労様、と申し上げる。でも、私にとっての高橋大輔は、あくまでも、生きるか死ぬかの勝負を挑むフィギュアスケートの選手である。ゆえに、引退しても、高橋大輔選手と呼ぶことにする。
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