わさお日記

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高橋大輔選手・臨スポ存続「署名集め」

[高橋大輔選手] ブログ村キーワード

 人間社会では、日々、様々な課題が発生する。その課題を解決するには、世の中に対して訴えかけ、世論を喚起したうえで、しかるべき関係機関を動かすことが必要になる。

 その際、同じ内容のことを世の中に対して訴えかけるとしても、誰が訴えかけるかが重要である。訴えかける人が誰であるかで、説得力が違ってくるからだ。その結果、訴えかけたことが実現することもあれば、実現しないこともある。

 だから、物事を判断するに際し、世の中に対して誰が訴えかけたかが重要なポイントとなるのだ。

 2014年6月2日、マイナビニュースの配信ニュースが流れた。閉鎖寸前のスケートリンク存続に一役買った高橋大輔の「求心力」とは、とのタイトルが付いている。配信ニュース曰く。

5月25日、大阪府高石市大阪府立臨海スポーツセンター内にあるアイススケート場で1つのイベントが行われた。「臨スポ目標達成御礼スペシャル」。同センター存続の危機を乗り越えたことをあらためて伝える場であり、同センターや関係者、そしてかかわった人々すべてにとって、大きなイベントだった。 
 
大阪府立臨海スポーツセンターは、1972年に建設され、地元で「臨スポ」の名で親しまれている。1972年建設だから、築後42年の老朽化した施設である。

  5月25日開催のイベントは、「臨スポ目標達成御礼スペシャル」と銘打たれ、廃止の憂き目を乗り越えて存続できることを祝うものである。臨スポは、実に存続の危機が二度あった。


 まずは、一度目の存続危機について書いていくことにする。

 2008年4月のことだった。当時の橋下徹大阪府知事が臨スポの閉鎖案を打ち出した。

 バブル崩壊後の日本経済は、いわゆる失われた20年を通じ、極端な低迷を続けたところであり、それに伴い、国も各地方公共団体財政破綻寸前の危機的状況を経験した。そのため、地方公共団体の一つとして、大阪府も徹底した行財政改革を推進せざるを得なかった。

 2008年当時、臨スポは、人件費、光熱水費等の維持管理費のほかに、築後36年という老朽化施設ゆえの修繕費負担が重荷になった。臨スポの使用料収入は、入ったとしても、微々たるものだ。したがって、臨スポの廃止案は、言わば当然の提案である。

 その時、臨スポの存続を願う人々を助けるべく、フィギュアスケート高橋大輔選手が立ち上がった。2008年当時、高橋選手は22歳。初出場した2006年トリノ五輪で8位に入賞し、2010年バンクーバー五輪での金メダル獲得を目指していた頃だ。

 高橋選手が立ち上がったのは、なぜか。それは、高橋選手が、2004年から2006年にかけ、2年ほど臨スポ内のリンクを練習拠点としていたからだ。つまり、臨スポのリンクで練習したおかげで2006年トリノ五輪に出場でき、8位入賞を果たしたわけだ。

 臨スポ存続のために立ち上がった高橋選手は、2008年5月には、臨スポでのアイスショーに出演して存続へ向けてアピールするなどの努力を続けた。

 臨スポ存続に向けては、多くの人々が活動し、数多くの支援も寄せられた。その結果、13万人を超える署名が集った。そして、署名活動などの反響の大きさから、存続が決まった。


 多くの人々の活動があったればこその存続決定であるが、普通に考えて、高橋選手が果たした役割は、極めて大きかったと言える。

 当時、築後36年という老朽化施設、待ったなしの行財政改革という客観情勢に照らせば、関係者の尽力だけでは、13万人を超える署名は、とても集まるものではない。

 臨スポは、1972年、昭和47年に大阪府高石市に開設された。当時漁港であった場所を埋め立てる代償として地元民が利用できる公共施設として建設されたものだ。

 高石市は、現在の人口が57,888人の小さな市だ。普通であれば、関係者がいくら頑張っても、人口の半分ほどの3万人も署名が集まればいい方だ。しかし、3万人程度の署名では、インパクトが弱い。臨スポの廃止案を覆すことはできない。

 署名が13万人を超えるとなれば、話は別だ。いくら大阪府の役人でも、反響の大きさを無視することはできなくなる。

 3万人と13万人との差、10万人分の署名数増は、やっぱり高橋大輔選手が立ち上がったことに起因すると考えざるを得ない。

 大阪湾に面している人口57,000人ほどの小さな市である高石市。地元民が利用できる公共施設としての臨スポ。当時、築後36年の老朽化施設。これじゃ、なんぼ大阪府民が人情厚い人々でも、おそらく見向きもされない。

 しかし、高橋大輔選手が先頭に立って頑張っているとなると、話は別だ。

 まず、大阪のオバチャンたちが騒ぐ。「ナンヤ、大ちゃんが頑張っているらしいデ」となる。高橋選手の一生懸命さが大阪のオバチャンたちの元乙女心に火をつける。一人が叫べば、あとは、我も我もとなる。

 すると、元乙女たちの発奮を聴きつけ、現役乙女たちが黙っていない。「大ちゃん、大ちゃん、頑張ってヤ」となる。一人が叫べば、あとは、我も我もだ。

 大阪のオッチャンたちやおのこたちは、女には弱い。オバチャンが騒ぎ、乙女が騒げば、男子も、我も我もとなる。

 大ちゃん、頑張れ!! 大ちゃん、頑張れ!! 大ちゃん、頑張れ!!

大ちゃん、頑張れ!! コールの大合唱が13万人を超える署名に結びつき、臨スポ存続に結実したのである。

 これは、高橋大輔選手が世間に対して持つ説得力の大きさを示す一証左である。

 結果して、2008年、臨スポ、一度目の存続危機突破が成る。めでたし、めでたしである。

 しかし、それはそれでいいのだけれど、私たちは、日本のスポーツ環境の貧弱さを忘れてはならない。

 地元民が利用できる公共施設としての臨スポ。当時、築後36年の老朽化施設。高橋大輔選手は、2004年から2006年にかけ、2年ほど臨スポ内のリンクを練習拠点としていた。臨スポのリンクで練習したおかげで2006年トリノ五輪に出場でき、8位入賞を果たした。

 高橋選手は、立派だが、オリンピック選手が臨スポという恵まれない施設を練習拠点とせざるを得ないとは。この現実には、心が寒くなる。

 高橋選手の大ファンは、彼に対する応援に熱中するだけでなく、こうした問題にも目を向け、考えるべきである。



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