高橋大輔選手・「恋をさあどうする?」
津軽のシニアブロガーがブログ記事を書く目的の一つは、私の考え方や見解を人に伝えたいからである。
伝えてどうするの?
それは、私の考え方や見解を参考にしていただくことで、いくらかでもお役に立てれば嬉しいからである。まあ、人生を長く生きてきたことからくる知的欲求といったところだ。
伝えたい相手は、朗若男女を問わずの幅広い層であるが、気がつけば、時として若い人を相手に語っているときもある。
若い人を相手にすることを意識しているとき、自分がすっかり遠い昔の若者時代に戻ってしまっているような気がして、苦笑することがあったりする。
人生においては、勝負に当たって、決して逃げてはならない。勝負は時の運だから、勝つこともあれば、負けることもある。
負けるときに、逃げて負けるのと、逃げないで向かっていって負けるのとでは、負ける点では同じだ。しかし、納得感の点でまったく違う。負けても、逃げないで向かっていった、という納得感が大事なのだ。
また、逃げて負けると、納得感がないどころか、悔やむ心が消えない。人間とは、そういうものだ。
今、勝負に当たって、と書いたが、勝負でなく、何かに挑戦することについても、同様である。何かに挑戦した場合、挑戦してその何かを実現できることもあれば、できないこともある。
できなくても、挑戦したという事実があること、挑戦したができなかった、ないしはできなかったけれど挑戦した、という納得感が大事なのだ。
挑戦しようとして挑戦しなかった場合、納得感がないどころか、悔やむ心が消えない。人間とは、そういうものだ。
フィギュアスケートの高橋大輔選手は、決して逃げないところがいい。怪我後でコンディション不良でも、4回転ジャンプに挑み続ける。失敗しても、手を怪我して流血しても、4回転に挑む。そこがいい。
高橋大輔の高橋大輔たるゆえんは、決して逃げないところだ。これが世界中の高橋大輔ファンを惹きつける。
決して逃げない高橋選手は、漢(オトコ)だ。漢(オトコ)とは、男の中の男というような意味の美称である。
漢(オトコ)が使用される場合、生物学上の雄個体という意味を指すよりは、むしろ勇猛さ、大胆さ、潔さ、堅い信念など、古来、男たるものが持つべきとされる美徳を備えている男前に対して贈られる称号である。
だから、女でもOKである。この称号は、男として持つべきものを備えていれば称号として使われるため、生物学的に女性であってもこの称号を取得することはあり得る。
表面は関係なく内面の深層が重要であり、自分の信念を貫き通し、見る者の目に漢(オトコ)を焼き付けた者こそが漢(オトコ)なのである。
高橋大輔選手は、漢(オトコ)だが、先ほど説明したように、女性でも漢(オトコ)になれる。
そして、先ほど説明した、勝負うんぬん、挑戦うんぬんの話は、恋にも当てはまる。
どういうこと?
漢(オトコ)の特性の一つは、潔いこと、一途であることである。だから、漢(オトコ)たる男子も女子も、潔く、一途に、相手に恋することに、逃げずに挑戦した方がいい。
挑戦して恋が成就すれば、めでたしめでたしだ。
恋が成就しなくても、挑戦したという事実があること、挑戦したが恋が成就しなかった、ないしは恋が成就しなかったけれど挑戦した、という納得感が大事なのだ。
挑戦しようとして挑戦しなかった場合、納得感がないどころか、悔やむ心が消えない。人間とは、そういうものだ。
いずれにしても、人生は長い。いろんなことがある。
ということで、高橋大輔選手は、恋をさあどうする?
ということで、あなたは、恋をさあどうする?
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