高橋大輔選手・「軌跡」
近年、あまたあるスポーツ競技の中で、フィギュアスケートの人気が高い。
2006年トリノ五輪では、荒川静香選手が男女を通じて初のフィギュアスケート金メダルに輝いた。トリノ五輪の日本勢は、113人という大選手団でありながら、獲得したメダルは、荒川選手の金メダル1個のみであった。
日本勢惨敗続きで国内外共に意気消沈するムードを荒川選手の金メダルが救ったと言っていい。荒川選手の快挙は、それほどの価値がある。
しかし、近年におけるフィギュアスケート人気の隆盛の要因は、荒川選手の金メダルにあるのではない。それをもたらしたのは、高橋大輔選手のフィギュアスケート人生の軌跡にある。
高橋大輔選手、1986年3月生まれの28歳。こう書いてみて、大ちゃん、つい大ちゃんと呼んでしまうのだが、大ちゃんも28歳にもなったのかとの感慨を抱く。
彼は、2006年トリノ五輪8位入賞、2010年バンクーバー五輪銅メダル、2014年ソチ五輪6位入賞と、オリンピックには、三大会連続出場している。
この中でも、特筆すべきは、2010年バンクーバー五輪での銅メダル獲得だ。これは、長いオリンピックの歴史の中で日本男子フィギュア初のメダル獲得である。
日本女子フィギュアは、1992年アルベールビル五輪で伊藤みどり選手の銀メダル、2006年トリノ五輪で荒川静香選手の金メダル、2010年バンクーバー五輪で浅田真央選手の銀メダルと、輝かしい歩みを進めてきている。
これに対し、日本男子フィギュアは、2010年バンクーバー五輪での高橋大輔選手の銅メダルが初メダルだ。
元々、女子選手の活躍もあって、フィギュアスケートは人気を集めていたが、高橋大輔選手の銅メダル獲得がフィギュアスケート人気に火を付けたと言える。
オリンピックで日本女子フィギュアが金メダル1個と銀メダル2個を獲得してきたことには、日本国民の男女が共に快哉を叫んできた。
しかし、快哉を叫けべば叫ぶごとに、男たちは、密かに思った。オイオイ、日本男子フィギュアのメダルは、まだなの?
男女平等ではないが、日本国民の男たちは、日本男子フィギュアのメダル獲得を渇望してきた歴史がある。
それを、2010年バンクーバー五輪で高橋選手が銅メダル獲得で果たしてくれたのだ。ヤッターッ、万歳!! 高橋選手は、一躍、ヒーローとなった。フィギュアスケート人気の隆盛は、この瞬間に始まったのである。
大ちゃんは、イケメンだ。それも、人懐っこいイケメンなところがいい。
大ちゃんは、決して偉ぶらないところがいい。
大ちゃんは、礼儀正しいところがいい。テレビで観る大ちゃんのインタビューは、いつも礼儀正しい。丁寧で、思いやりがある。そこがまたいい。
大ちゃんは、決して逃げないところがいい。ケガ後でコンディション不良でも、4回転ジャンプに挑み続ける。失敗しても、手をケガして流血しても、4回転に挑む。そこがいい。
大ちゃんは、決して諦めない。そこがアスリートとして一番尊敬すべきところである。
2008年10月末の練習中に転倒し、右足膝の前十字靭帯と半月板を損傷したときは、文字通り、必死でリハビリに頑張った。その結果が2010年バンクーバー五輪での銅メダル獲得に結実した。
そして、右足膝ケガの5年後、2013年11月、その右足膝をまたケガしてしまった。それも、ソチ五輪の代表選考会の直前にだ。それでも、ケガからの回復に必死で取り組んだ。その結果、ソチ五輪出場が実現した。
ソチ五輪では、ケガの影響でコンディション不良ながらも、6位入賞である。立派なものだ。
振り返れば、高橋大輔選手は、日本男子フィギュアの先駆者である。彼のバンクーバー五輪での銅メダル獲得で、日本男子フィギュア界の面々は、オリンピックでメダルを獲れること、どうやれば獲れるかを身近で分かった。
高橋選手は、その言動でみんなを鼓舞し続けてきた。
その先に、2014年ソチ五輪における羽生結弦選手の金メダル獲得がある。
すべては、先駆者たる高橋大輔選手のおかげである。
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