わさお日記

わさおの時事川柳・五行歌、俳句、短歌、十行歌、その他

猫だましだなんて

 津軽のシニアブロガー、わさおは、元々大の大相撲好きである。小学生の頃からラジオの大相撲放送に夢中になったし、テレビ放送が開始されてからは、リアルタイムで観て、随分一喜一憂したものだ。人生の多くの部分は、大相撲観戦と共にあった。

 しかし、近年は、いつの頃からか、大相撲は観なくなった。なぜか。それは、今の大相撲の取組は、観るに値しないからである。

 観るに値したのはいつ頃までだったか。振り返れば、貴乃花横綱を張っていた辺りまでだ。


 大相撲は、単なるスポーツではない。それは、ある意味では、日本文化そのものである。ということを大相撲の歴史が教えてくれている。

 日本文化そのものであるとは、どういうことか。大相撲は、日本文化であるから、さまざまなことが求められる。例えば、大相撲力士は、正々堂々と戦わなければならない。とりわけ、最高位の横綱にある者には、横綱としての品格が求められる。

 それらを分かりやすく体現して観せた力士は、横綱大鵬である。不世出の大横綱である大鵬は、その成績においても、人格においても、横綱としての品格においても、不世出の力士だ。


 横綱貴乃花は、横綱大鵬の域には達するまではいかなかったが、それでも日本文化の体現者として立派なものである。

 しかるに、横綱貴乃花が引退した後、続いているのがモンゴル出身力士の横綱であり、彼らは、大相撲が日本文化であることを理解していないように観える。

 既に引退している横綱朝青龍はもちろん、横綱白鵬横綱日馬富士横綱鶴竜の現役三横綱も、大相撲が単なるスポーツではないことを理解していないようだ。彼らの取組具合に係る印象を以下に述べる。

 彼らは、相撲には、とにかく勝てばいい。勝つためには、立ち合いに変化して勝っても構わない。横綱であろうがなかろうが、立ち合いに変化しても勝ちさえすればいい。

 彼らは、相撲に勝っても、相手に威圧感を与えるためには、勝負ありの後の駄目を押してもいい。それによって相手力士が怪我しようと構わない。


 新聞記事によれば、11月17日、大相撲九州場所10日目、横綱白鵬が関脇栃煌山に2度の猫だましを繰り出し、寄り切って10連勝とした。これには、驚いた。横綱白鵬の大相撲に対する理解不足は、とうとうここまできたか。

 猫だましとは、立合いと同時に相手力士の目の前に両手を突き出して手のひらを合わせて叩くものだ。立合いと同時に相手の目の前で、パンと叩くのだから、相手は、驚き、面食らう。相手の目をつぶらせる奇襲戦法だ。

 猫だましとは、昔、小兵力士の舞の海が使ったことのある手だ。舞の海は、ちっちゃいから、並み居る巨漢力士に勝つためには、使いたくなる。観戦者も、舞の海ならね、なるほど、となる。

 しかし、大男の白鵬だよ。横綱白鵬だよ。しかも、猫だましを2度使ったとは。スポーツニュースでその場面を観たが、滑稽だよね。相手の目の前で、手のひらを合わせてパン、その後、またパン。何バカやってんの。滑稽そのものだ。

 結局、相撲には、とにかく勝てばいい。勝つためには、立ち合いに変化しても、猫だましを使っても、構わない。横綱であろうがなかろうが、それでも勝ちさえすればいい。そんな風に観える。

 横綱の品格も、権威も、地に落ちたもんだね。それとも、元々持ち合わせていないものは、地に落ちようがない、ってことなの?
 

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