フィギュアスケート考・「グレイシー・ゴールド選手のあでやかさ」
17世紀フランスの思想家パスカルは、「人間は、自然の中で最も弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは、考える葦である」と述べている。
人間は、考える葦であるから、人生において、いろいろ考える。スポーツ観戦においても、単に勝敗に一喜一憂するのではなく、いろいろ考えるから、面白みが増すというものだ。
で、20世紀を代表する女優を挙げよ、と言われれば、津軽のシニアブロガーが思いつくのは、金髪のイングリッド・バーグマンである。イングリッド・バーグマンは、1944年に出演した『ガス燈』で初のアカデミー賞となる主演女優賞を受賞している。
イングリッド・バーグマンの美貌と味わいのある演技力を観ると、世界的な大女優の素晴らしさに感嘆する。
私が外国女性を目にするときのメルクマール(指標)は、イングリッド・バーグマンということになる。
津軽のシニアブロガーは、2014年12月に開催されたフィギュアスケートの全日本選手権における高橋大輔選手の頑張りぶりにいたく感動した。それ以来、フィギュアスケート大会の放送は、男女の試合ともよく観る。
女子選手のフィギュアスケートを観る場合、演技の美しさに魅力を感じる。で、イングリッド・バーグマンをメルクマールとして思うに、世界中にいる数多くの女子選手の中で、一番のフィギュアスケーターは、アメリカのグレイシー・ゴールド選手である。
グレイシー・ゴールド選手の演技の様を褒めれば、何と言っても、あでやかさが素晴らしい。
これぞ、フィギュアスケートの美しさ、ここにありという感じである。
まさに、世紀の世界的大女優、イングリッド・バーグマンが氷上で滑っているようなものである。
金髪のイングリッド・バーグマンのような美貌が氷上を舞い、真っ赤な口紅がアピールするなんざ、文句なしにフィギュアスケートって楽しい、と思わせてくれる。
こうなると、グレイシー・ゴールド選手について、知りたくなるというものだ。
今のネット社会は、実に便利で、ネット先生が何でも教えてくれる。フリー百科事典のウィキペディア曰く。
グレイシー・ゴールド選手は、1995年8月生まれの19歳。168cm、54kg。
ちなみに、日本のエース、浅田真央選手は、1990年9月生まれの24歳で、163cm、47kgだから、グレイシー・ゴールド選手の方が少し大きい。が、外国人としては、決して大きくない方だろう。
驚くのは、グレイシー・ゴールド選手が19歳だということだ。彼女のあでやかさは、24歳の浅田真央選手にも引けを取らない。
これぞ、フィギュアスケートの美しさ、ここにありという感じのグレイシー・ゴールド選手。彼女は、世界中の女子選手の中で、一番のフィギュアスケーターである。と、勝手に思い込みながら、フィギュアスケートの試合を観戦するのは、面白い。
フィギュアスケートは、採点基準に沿って最高得点を挙げれば優勝する。当たり前と言えば、当り前の話だ。
しかし、それでいいんだろうか、と思う。
何を言いたいの?
最近のフィギュアスケートの試合では、国内外を問わず、小学生みたいに小さな選手たちが、採点基準に沿って最高得点を挙げれば優勝する。
ジャンプでも、ステップでも、スピンでも、極端に言えば、くるくる回って、高得点と相成る。しかし、「くるくる回って」いるだけ、と言いたくなる演技には、味わいがない。小学生然とした演技は、採点基準上は上手いのだろうが、味わいがないのだ。
それに対し、グレイシー・ゴールド選手の演技は、そもそも、味わいというか、雰囲気あふれる演技である。
点数がいいだけで、素晴らしいとは言えない演技。点数は出ないものの、雰囲気あふれる演技。後者の方が観ていて楽しい。
ここまでくると、現行の採点基準は果たしていいのだろうか、と思ってしまう。
例えば、機械のように、正確にジャンプを跳びさえすればいい、というものではない。本来のフィギュアスケートとは。
こんなことを書けば、ああたらこうたらと、技術論を展開するフィギュアスケートファンが出てくる。
しかし、そんな技術論を聴く気は毛頭ない。悪しからず。
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