わさお日記

わさおの時事川柳・五行歌、俳句、短歌、十行歌、その他

柴崎岳選手、頑張れ!!・「サッカー日本代表、ドーハの悲劇から21年」

    何のスポーツでも、日本代表チームの試合には、応援に熱が入る。その中でも、サッカー日本代表の試合は、格別である。

 なぜか? それは、今は隆盛を極めるサッカー日本代表だが、今から20年以上も前は、そうでもなかったからだ。この間の歩みに思いをいたすとき、感慨を禁じえない。


    今から約21年前の1993年10月28日。東京に出張していて、サッカー日本代表の試合のテレビ実況中継を観ていた。

 ワールドカップ(W杯)アメリカ大会のアジア地区最終予選の試合で、カタールのドーハのアルアリ・スタジアムで行われた日本代表とイラク代表の試合である。この試合に、日本代表のW杯初出場がかかっていた。

 日本は、前半に三浦知良選手の先制点でリードしたものの、前半終了間際に追いつかれた。が、後半に入って、中山雅史選手の勝越しゴールで2-1と日本が再びリードした。

 試合が進み、後半のロスタイム。このまま日本が逃げきるだろう。しかし、その期待も空しく、ロスタイムの残りわずかのところで、イラクに同点弾を許してしまった。結果、2-2の引分けに終わり、日本は、W杯初出場を逃した。

    あの試合、日本は、九分九厘、W杯初出場を手中にしていた。が、最後の最後に、スルリと抜けていった。まさに、そんな感じだ。茫然として、天を仰ぐ、三浦知良選手、中山雅史選手らの日本代表選手たち。その胸中を察するにあまりある。そして、テレビ放送を目にした日本国民の落胆たるや。

 これがいわゆるドーハの悲劇である。この時、サッカーの試合は、何が起こるか分からないことを、それだからこそ、逆に、サッカーの試合はおもしろいことを知った。

 思い起こせば、サッカー日本代表のW杯への道は、ドーハの悲劇から始まった。その瞬間から、すべてが始まったと言える。


 あれから20年以上が経ち、サッカー日本代表は、1998年フランス大会から2014年ブラジル大会まで、W杯で5大会連続出場を果たしている。

 あれ以来、サッカー日本代表が勝てば勝ったで、惜しくも負ければ負けたで、折に触れ、ドーハの悲劇当時のことを思う。 

 十年一昔というが、二十年もの歴史を刻み、サッカー日本代表は、一段と高いレベルを窺う時期にさしかかっているようだ。

 そうしたサッカー日本代表にあって、今後を最も嘱望されているのは、柴崎岳選手である。

 柴崎岳(シバサキ ガク)選手は、鹿島アントラーズ所属で、1992年5月生まれの22歳。出身は、青森県上北郡野辺地町であるから、津軽のシニアブロガーは、自然と応援に熱が入ってしまう。

 サッカー日本代表を長年にわたり引っ張ってきたのは、遠藤保仁選手であり、34歳の彼は、今なお進化を続けているから、驚きである。彼は、国際Aマッチ出場数で歴代選手最多の148試合を誇る。

 しかし、さすがの遠藤保仁選手も、今や34歳。彼のことだから、まだまだ頑張ってくれるとは思うが、そろそろ後継者を考えていかなければならない時期にきている。

 そうした中で、日本中から期待されているのが、我が柴崎岳選手である。そのことが、サッカー日本代表を熱烈に応援している津軽のシニアブロガーには、何よりも嬉しい。

 柴崎岳選手は、1992年5月28日生まれで、ドーハの悲劇が起こった1993年10月28日の1年5か月前に生まれているから、ドーハの悲劇を実感することはできない。

 一方、ドーハの悲劇当時、遠藤保仁君は13歳だから、当然、あの悔しさを実感しているはずだ。その遠藤保仁選手がサッカー日本代表をリードし、日本は強くなってきた。

 そして、その道のりを当時1歳の柴崎岳選手が受け継ぎ、更に強くしていってくれる。

 ドーハの悲劇から21年。この間、サッカー日本代表は、成長を続け、私たちを喜ばせてくれている。そして、今後とも、遠藤保仁選手から柴崎岳選手へと続く系譜の中で、もっと高みに行ってくれる。

 それを思うと、嬉しい限りである。

 頑張れ、サッカー日本代表!! 頑張れ、遠藤保仁選手!!  頑張れ、我が柴崎岳選手!!



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