わさお日記

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高橋大輔選手・「錦織圭選手の恩人」

[高橋大輔選手] ブログ村キーワード

    ネットでヒットした「アジアの人口ランキング - 世界経済のネタ帳」によれば、2013年の人口ランキングで、アジア24か国の総人口は、38億3千万人である。これは、世界186か国の総人口70億3千5百万人の54%を占める。

 男と女の割合を便宜上ヒフティヒフティとすると、男子は、世界全体で35億人いて、うちアジア人以外男子は16億人、うちアジア人男子は19億人いることになる。

 アジア人男子初の快挙と聞くと、漠然と、ヘエーッ、アジア人男子初なんだと思う。しかし、アジア人男子初とは、19億人のアジア人男子がそれまで誰一人として成し遂げることができなかったことを成し遂げることだ。具体的数字で19億人ものアジア人男子初と聞けば、改めて凄いことである。

 
 2014年9月9日、テニスの錦織圭選手が、男子シングルスで、日本選手初の全米オープン準優勝を成し遂げた。

 錦織選手は、テニスの男子シングルスで、日本選手として、四大大会では81年ぶり、全米オープンでは96年ぶりにベスト4進出を果たした。その準決勝も、世界王者であるセルビアジョコビッチ選手を撃破し、初の決勝進出を決めた。

 決勝では、クロアチアのチリッチ選手に敗れたものの、堂々の全米オープン準優勝という歴史的快挙である。錦織選手が成し遂げた歴史的快挙の話題に日本中が沸騰した。

 錦織選手の快挙は、日本選手初であると同時に、アジア人男子初の快挙である。歴史上、19億人規模のアジア人男子がついぞできなかったことを錦織選手が成し遂げたことになる。

 そして、錦織選手が実現して観せた歴史的快挙の陰には、それを決定的に助けた恩人がいる。 

 錦織選手は、プロテニス選手を目指し、13歳の時、たった一人で渡米している。いくらテニスのプロを目指すためとはいえ、年端もいかない少年が単身渡米するとは、ただただ驚きである。

 錦織選手が鍛錬を積んだのは、テニス界の「虎の穴」ともいえるIMGニック・ボロテリー・テニス・アカデミーである。アメリカのフロリダ州にあり、世界中からテニス少年の俊英が集まる。ここで、錦織選手は、18歳まで鍛錬を積み重ねた。

 13歳から18歳までの鍛錬自体、厳しいものであるが、この間、お金も莫大かかる。錦織少年を経済面も含めて支援したのが「盛田正明テニスファンド(MMTF)」であり、ファンド創設者の盛田正明さん、御年87歳は、錦織圭選手の恩人である。

 MMTFファンドなかりせば、テニスの錦織選手なく、したがって、彼の全米オープン準優勝もない。


 アジア人男子初の快挙の話をすれば、フィギュアスケート高橋大輔選手は、その大先輩である。

 高橋選手は、フィギュアスケート男子シングルにおいて、2002年に15歳で世界ジュニア選手権、2010年に23歳で世界選手権、2012年に25歳でグランプリファイナルを、それぞれ日本人史上初制覇を果たしている。

 加えて、燦然と輝くのが、2010年バンクーバー五輪で日本人男子シングル初メダルの銅メダル獲得。これを含め、2006年トリノ五輪から2014年ソチ五輪までの五輪三大会連続入賞である。

 高橋選手の世界ジュニア選手権優勝、世界選手権優勝、グランプリファイナル優勝、2010年バンクーバー五輪での銅メダル獲得は、いずれも、日本人男子初であると同時に、アジア人男子初の快挙である。

 しかし、高橋選手の道のりを振り返ると、テニスの錦織選手には経済面を含めての支援者たる恩人がいるのに対し、津軽のシニアブロガーが知る限りでは、高橋選手には経済的支援面でのそのような恩人はいない。

 高橋大輔少年がフィギュアスケートを始めたのは、8歳になった時からだ。

 フィギュアスケートは、お金のかかる競技で、当時でも、用具や諸経費で月に約20万円もかかるそうだ。大会用の衣装は、ズボンだけで3万円もかかるという。

 これじゃ、家計はなかなか大変だ。その当時、鳶職のお父さん、理容師のお母さんが懸命に働いても、二人合わせて40万円は稼げないのではないか。おそらく、フィギュアスケートにかかる20万円のうち、半分の10万円程度は、自然体では赤字だろう。

 だから、お母さんは、昼は理容師として、夜はお弁当屋さんで働いて高橋選手のフィギュアスケート代を稼ぎ出した。

 その頃のお母さんについて、高橋選手曰く。

 「お金が大変だったと思うんですけど、昼は理容店で働いて、夜パートに行ったりとか、お母さんはいつ寝ているんだろうと思っていました」

 テニスの錦織圭選手を経済面を含めて支援した盛田正明さんは、エライ。そして、高橋大輔選手の夢を支え、寝る間も惜しんで、昼は理容師として、夜はお弁当屋さんで、懸命に働いたお母さん、共に一生懸命な鳶職のお父さんは、エライ。

 高橋選手の親御さんではあるが、並はずれたご努力に照らせば、お二方は、高橋大輔選手の恩人である。


 高橋選手のお父さん、お母さんの身を粉にした頑張りがなかりせば、世界の高橋大輔選手を私たちが観ることはできなかった。

 そして、盛田正明さんの支援なかりせば、世界の錦織圭選手を観ることもできなかった。

 ゆえに、この方々は、私たちにとっても、恩人である。



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