わさお日記

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高橋大輔選手・臨スポ存続「1億3千万円の匿名寄付」

[高橋大輔選手] ブログ村キーワード

    2014年7月15日、高橋大輔選手・臨スポ存続「署名集め」、とのタイトルでブログ記事を書いて投稿した。そして、その後、続きを書いた。それには、高橋大輔選手・臨スポ存続「1億3千万円の匿名寄付」、とのタイトルを付けた。

 続きのブログ記事を投稿しようとしていた矢先、7月18日。大変ありがたいことに、メイさんが高橋大輔選手・臨スポ存続「署名集め」のブログ記事に対してコメントを寄せて下さった。

 メイさんは、かねてより高橋大輔選手を敬愛してやまない、大ファン中の大ファンにして大サポーターである。

 メイさんのコメントの内容は、さすがであり、素晴らしい。津軽のシニアブロガーにさまざまに考えさせて下さる。そのうち、また、ブログ記事にまとめたいと思っている。

 で、続きのブログ記事、高橋大輔選手・臨スポ存続「1億3千万円の匿名寄付」について、その中身を少し置き換えるかどうか考えた。

 結論は、手を加えることなく、当初のままで投稿することにした。まずは、津軽のシニアブロガーがどのように考えていたのかを知っていただきたいと思うからである。


    高橋大輔選手・臨スポ存続「1億3千万円の匿名寄付」

 
 人間社会では、日々、様々な課題が発生する。その課題を解決するには、世の中に対して訴えかけ、世論を喚起したうえで、しかるべき関係機関を動かすことが必要になる。

 その際、同じ内容のことを世の中に対して訴えかけるとしても、誰が訴えかけるかが重要である。訴えかける人が誰であるかで、説得力が違ってくるからだ。その結果、訴えかけたことが実現することもあれば、実現しないこともある。

 だから、物事を判断するに際し、世の中に対して誰が訴えかけたかが重要なポイントとなるのだ。

 2014年6月2日、マイナビニュースの配信ニュースが流れた。閉鎖寸前のスケートリンク存続に一役買った高橋大輔の「求心力」とは、とのタイトルが付いている。配信ニュース曰く。

    5月25日、大阪府高石市大阪府立臨海スポーツセンター内にあるアイススケート場で1つのイベントが行われた。「臨スポ目標達成御礼スペシャル」。同センター存続の危機を乗り越えたことをあらためて伝える場であり、同センターや関係者、そしてかかわった人々すべてにとって、大きなイベントだった。 
 
    大阪府立臨海スポーツセンターは、1972年に建設され、地元で「臨スポ」の名で親しまれている。1972年建設だから、築後42年の老朽化した施設である。

 5月25日開催のイベントは、「臨スポ目標達成御礼スペシャル」と銘打たれ、廃止の憂き目を乗り越えて存続できることを祝うものである。臨スポは、実に存続の危機が二度あった。


 一度目の存続危機は、2008年4月のことだった。当時の橋下徹大阪府知事が臨スポの閉鎖案を打ち出した。

 バブル崩壊後の日本経済は、いわゆる失われた20年を通じ、極端な低迷を続けたところであり、それに伴い、国も各地方公共団体財政破綻寸前の危機的状況を経験した。そのため、地方公共団体の一つとして、大阪府も徹底した行財政改革を推進せざるを得なかった。

 2008年当時、臨スポは、人件費、光熱水費等の維持管理費のほかに、築後36年という老朽化施設ゆえの修繕費負担がかさむなどの事情があり、臨スポの廃止案は、言わば当然の提案である。

 その時、臨スポの存続を願う人々を助けるべく、フィギュアスケート高橋大輔選手が立ち上がった。

 2008年当時、高橋選手は22歳。初出場した2006年トリノ五輪で8位に入賞し、2010年バンクーバー五輪での金メダル獲得を目指していた頃だ。2006年トリノ五輪出場前、彼は、2004年から2006年にかけ、2年ほど臨スポ内のリンクを練習拠点としていた。

 高橋選手は、2008年5月には、臨スポでのアイスショーに出演して存続へ向けてアピールし、存続を訴える署名活動をするなど、努力を続けた。

 臨スポは、1972年、昭和47年に大阪府高石市に開設された。当時漁港であった場所を埋め立てる代償として地元民が利用できる公共施設として建設されたものだ。  

 高石市は、現在の人口が57,888人の小さな市だ。普通であれば、関係者がいくら頑張っても、人口の半分ほどの3万人も署名が集まればいい方だ。

 しかし、幸いなるかな、13万人を超える署名が集った。そして、署名活動などの反響の大きさから、存続が決まった。

 多くの人々の活動があったればこその存続決定であるが、13万人を超える署名が集ったのは、やっぱり高橋大輔選手が立ち上がったことに起因すると考えざるを得ない。

 大ちゃん、頑張れ!! 大ちゃん、頑張れ!! 大ちゃん、頑張れ!!

    大ちゃん、頑張れ!! コールの大合唱が13万人を超える署名に結びつき、臨スポ存続に結実したのである。

 これは、高橋大輔選手が世間に対して持つ説得力の大きさを示す一証左である。

 
 しかし、二度目の存続危機が、2011年にやってきた。当時、築後39年の臨スポは、2015年度末までの耐震化が必要であった。その工事費は約3億円。これを大阪府は財政難ゆえに負担しないとした。

 このときも、高橋大輔選手が動いた。2012年5月、松井一郎大阪府知事を訪問し、支援を要請したのだ。これに対し、松井知事は、「半分を集められるなら」と答えた。耐震化工事費3億円のうち、1億5千万円を集められるのであれば、残りを大阪府が負担するというのだ。

 徹底した行財政改革を推進する大阪府の本音は、臨スポの廃止だ。築後39年の老朽化施設に耐震化工事費3億円もかけるなんて。

 高橋選手の訪問の申し出を聞いて、松井知事は、困った。なんたって、乙女にも、元乙女にも、絶大なる人気を誇る高橋選手だ。選挙民からの投票で選ばれる知事としては、とても、支援要請を無下に断るわけにいかない。

 松井知事は、困った、困った。なんとかならんか、と大阪府の役人に問うた。なんとかならんか、の知事と、びた一文出したくない役人との間で、押し問答が続いた。

 結局、1億5千万円を集められるのであれば、残りを大阪府が負担する、という案に落ち着いた。これで、松井知事と高橋選手の両方の顔が立つ。どうせ、1億5千万円を集められない。だから、大阪府の1億5千万円負担もない。大阪府関係者の本音だ。

 実際、1億5千万円は大金だ。高橋選手が必死に募金活動をしても、彼に鈴木明子選手と村上佳菜子選手が協力してチャリティーイベントを開いても、目標にはとても届かない。募金で1億5千万円を集めるのは、至難の業なのだ。

 しかし、高橋大輔選手は、決して諦めない。諦めずに向かっていき、難局を克服する。そこがアスリートとして一番尊敬すべきところだ。諦めずに向かっていく、努力の人。そこだ。そこがいい。

 2012年10月、臨スポの「支援の会」に1通のメールが届いた。

「センターで練習する子どもたちの笑顔を守りたい。寄付をしますので、ご活用ください」と書かれ、「誰かということは詮索しないでほしい」とも書かれていた。

 その後、3回に分け、総額1億3千万円が振り込まれた。振り込み主は、「トクメイキボウ」さんだという。

 匿名さんがどこの誰で、何に動かされて、1億3千万円もの大金を寄付したのかは、分からない。

 だけど、匿名さんは、メールの中で臨スポで「練習する子どもたちの笑顔を守りたい」と書いている。そして、6月2日付けのマイナビニュースの配信ニュースでは、以前、高橋大輔選手が「子どもたちには元気いっぱい、滑ってほしいんですよね」と語っていたとある。

 してみれば、匿名さんは、高橋大輔選手が必死に臨スポ存続に取り組む姿に打たれ、支援を決意したものと考えるのが自然だ。

 マイナビニュースのヘッドライン曰く。「閉鎖寸前のスケートリンク存続に一役買った高橋大輔の「求心力」とは」。しかし、臨スポの存続決定に高橋選手が果たした役割は、「一役買った」などという小さなものではない。

 高橋選手の行動がなければ、工事費3億円のうち大阪府半額負担はなかった。1億3千万円の匿名さんからの寄付もなかった。これを含む1億5千万円の調達もなかった。

 すべては、高橋大輔選手のおかげである。高橋大輔選手、決して諦めない君の志が貴く、まぶしい。

 

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