高橋大輔選手・「若者たち」
欲しいもの パートナーさと 語る大
パートナー 我も我もと 思う女子
何年も いなくて寂しや パートナー
大ちゃんを いやしてあげると あまた女子
これは、津軽のシニアブロガーが、わさおの時事川柳・五行歌として詠んだ時事川柳の一つである。高橋大輔選手・「あまた女子」というタイトルを付し、5月9日付けで投稿した。
私が作る川柳、俳句、短歌、五行歌、十行歌は、自己流である。
自己流ではあるが、川柳、俳句、短歌、五行歌、十行歌を作るに当たって、これらのすべてに当てはまる私なりの基本がある。
それは、五音からなる言葉と七音からなる言葉で綴るということだ。
五音あるいは七音からなる言葉は、いろいろ吟味される結果として、綺麗な日本語、美しい日本語であることが多い。それと同時に、五七五は、音のリズムがいい。
五七五、五七五七七の定型詩は、日本語のひらがな文化という1200年もの歴史を持つ。1200年もの歴史を持つに至ったのは、日本語の美とリズムに根ざしているからである。
五七五の音のリズムを刻みながら定型詩を作るとき、テーマは幅広くなる。最近は、フィギュアスケートの高橋大輔選手が絡む事柄に題材を求めることもある。
去る4月21日、高橋大輔選手は、大阪府吹田市にある母校・関西大学の千里山キャンパスで行われた学長表彰式及びトークイベントに出席した。いずれも後輩のソチ五輪5位入賞、世界選手権銀メダルの町田樹選手、2013~14年シーズン限りで引退した2010年バンクーバー五輪7位入賞の織田信成さんが一緒である。
トークイベントで高橋選手は今欲しいものは?と問われて、語った。「やっぱりパートナーかな。欲しいですよね。もう何年もいないんですよ。寂しくて寂しくて、1人で寝るときが寂しいですよね、1人の方は...。どんどん越されていくんですよね、下の後輩に! ホント寂しくて...、寂しいです」。
これを聞くと、意外だな、思う。あのイケメンの高橋選手が語っているからだ。およそ、高橋選手には無縁の言葉のように感じるのだが。
しかし、だから、人生って、おもしろいのだろう。
高橋選手のこの発言を耳にして、津軽のシニアブロガーの頭に浮かんだのは、「神田川」の世界だ。
貴方はもう 忘れたかしら
赤い手拭 マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
なぜ、「神田川」が浮かぶのか。それは、切ないからだ。青春とは、なにかと切ない。時代が変わり、日本が、そして世界が変わっても、青春が切ないことは、変わらない。
我が日本においては、平安京の昔から、青春は切ない。それは、五七五七七の定型詩における1200年の歴史をひもとき、時代時代の和歌を読めば、一目瞭然である。
再び、高橋選手の本音。やっぱりパートナーかな。欲しいですよね。もう何年もいないんですよ。寂しくて寂しくて、1人で寝るときが寂しいですよね、1人の方は...。ホント寂しくて...、寂しいです。
青春は切ない。しかし、だからこそ、素晴らしいのだ。そのことによって、人間は、さまざまに学ぶことができる。人間が学ぶことができるよう、青春は切ない、ようにできているのだ。
それに加え、高橋発言は、もう一つのことを気づかせてくれる。それは、若者たちはいいなあ、ということだ。
若者たちが醸し出す、甘酸っぱさ、がいいのだ。甘酸っぱさは、切なさ、と似ているようで、そうでもない気がする。
人生において、切なさは、年が行っても感じる、あるいは経験することがある。が、甘酸っぱさは、若い時だけだ。と、私には思われる。
甘酸っぱさ、について触れれば、ある方の次の発言を耳にした時も、甘酸っぱさ、を感じた。
関大の表彰式で高橋選手がパートナーが…と発言した途端、会場の空気が変わっていました。私も同年代なので、つい手を挙げたくなりましたが、身の程をわきまえて大人しくしていました。
高橋選手や浅田選手には本当に二人にぴったりの素敵なパートナーが現れて側で支えてくれたらいいなあと思いますよね。
青春は切ない。そして、若者たちはいいなあ。若者たちが醸し出す、甘酸っぱさ、がいい。
しかし、若者たちが若者たちでいるその時には、甘酸っぱさがいいということが分からない。ような気がする。
若者たちには、甘酸っぱさを存分に経験してほしい。その際、挑戦しないで甘酸っぱさを経験するよりは、挑戦したうえで甘酸っぱさを経験した方がいい。
青春は切ない。若者たちは素晴らしい。幸多かれと祈る。
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