わさお日記

わさおの時事川柳・五行歌、俳句、短歌、十行歌、その他

「STAP細胞」疑惑・ねつ造認定は動かず

   今、世間を騒がせている「STAP細胞」疑惑。疑惑は二つに分かれる。一つは、「STAP細胞」論文に改ざんとねつ造に当たる不正、つまり論文不正があるのかないのか。もう一つは、「STAP細胞」が作れるのか作れないのか。

 「STAP細胞」は存在し、作れることの証明、証拠は、「STAP細胞」論文である。客観的に「STAP細胞」は存在し、作れるとしても、論文に改ざんとねつ造に当たる不正があれば、それは、論文不正であり、研究不正である。

 そして、論文不正があるのかないか、その勝負の土俵は、あくまでも「STAP細胞」論文である。「STAP細胞」論文に改ざんとねつ造があれば、「STAP細胞」は存在し、作れるとしても、論文不正があることに変わりはない。

 言わば、他人の刑事事件に関する証拠を隠滅すれば、他人が無罪に終わった場合でも、証拠隠滅罪が成立するのと同様である。

 
 論文不正のねつ造について 
 

 理化学研究所の規程では、「ねつ造」とは、「データや研究結果を作り上げ、これを記録または報告すること」とある。

 理研調査委員会は、最終報告書で、学位論文の画像に酷似した画像を論文に使用したことについては「ねつ造」と認定した。

 この点に関する小保方弁護団の反論に曰く。

ア 「作り上げる」とは、存在しないものを存在するように作成すること。例えば、実験を行ってないのに、存在しない画像を作り出すと、これはねつ造。それを論文に載せると、これもねつ造。実験は行ったものの、異なるデータから存在しない画像を策出し、その策出した画像を掲載すると、これもねつ造。

イ 骨髄由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像、これを画像A2という。一方で、脾臓(ひぞう)由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像、これを画像Bという。画像A2も画像Bも、存在しない細胞を策出したということではなく、存在しない画像を策出したということではない。

ウ 本件では、脾臓由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像Bを載せるべきなのに、骨髄由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像A2を載せてしまった。この点については、小保方氏が自ら発見し、これを申告している。また、3月9日にはネイチャーに対して訂正原稿を提出している。単なる画像の掲載違いであってねつ造ではない。

 この反論には欠陥がある。

 脾臓由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像Bを載せるべきなのに、骨髄由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像A2を載せてしまったが、骨髄由来の細胞から作製したスタップ細胞は作製し、その画像A2を載せたのだから、単なる画像の掲載違いだと主張しているのだ。

 しかし、「STAP細胞」は存在し、作れることの証明、証拠は、「STAP細胞」論文であり、論文不正があるのかないかの勝負の土俵は、あくまでも「STAP細胞」論文である。

 研究成果を明示するのは論文の文章であり、研究成果を立証する画像は、論文に載せられた画像である。その載せられた画像が別種の画像だと、研究成果を正しく立証することにはならない。

 今の場合、論文では、脾臓由来の細胞からスタップ細胞を作製したこと、作製できるという研究成果を明示しているのだから、それを立証する画像は、脾臓由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像Bである。その画像は論文に載せられていないから、論文の文章で明示する研究成果を立証する画像は、ないということだ。

 一方、論文では、骨髄由来の細胞からスタップ細胞を作製したこと、作製できるという研究成果を明示する文章はない。つまり、骨髄由来の細胞からスタップ細胞を作製したこと、作製できるという研究成果が存在するとしても、「STAP細胞」論文の土俵外の話だ。

 それにもかかわらず、脾臓由来の細胞からスタップ細胞を作製したこと、作製できるという研究成果を立証する画像として、実は、骨髄由来の細胞から作製したスタップ細胞とされる細胞の画像A2を用いていることになる。

 これは、「STAP細胞」論文という土俵上では、その研究成果を立証する材料である脾臓由来の細胞からの画像を、そうでないものを用いて作り上げたに等しい。

 このことは、「データや研究結果を作り上げ、これを記録または報告すること」に該当し、「ねつ造」に当たる。

 理研の最終報告書に曰く。

ア 論文1の画像には、学位論文と似た配置の図から切り取った跡が見えることから、この明らかな実験条件の違いを認識せずに切り貼り操作を経て論文1の図を作成したとの小保方氏の説明に納得することは困難である。

イ このデータはSTAP細胞の多能性を示す極めて重要なデータであり、小保方氏によってなされた行為はデータの信頼性を根本から壊すものであり、その危険性を認識しながらなされたものであると言わざるを得ない。よって、ねつ造に当たる研究不正と判断した。


 研究成果を明示するのは論文の文章であり、研究成果を立証する一つが画像である。

 仮に、研究成果が存在しても、それを明示する論文の文章が誤った表現になっていれば、研究成果を正しく明示することにはならない。あくまでも、土俵は、論文である。

 論文の文章が誤った表現になったままで、しかし、正しい研究成果は存在しているのだと主張しても、それは通らない。

 「STAP細胞」論文では、骨髄由来の細胞からスタップ細胞を作製したこと、作製できるという研究成果を明示する文章はない。つまり、骨髄由来の細胞からスタップ細胞を作製したこと、作製できるという研究成果は、土俵上にはない。

 論文上に明示されていないのに、正しい研究成果は存在しているのだと主張しても、それも通らない。論文上に明示されていない研究成果に係る画像が論文に載せられていることは、ナンセンスである。

 「STAP細胞」論文では、脾臓由来の細胞からスタップ細胞を作製したこと、作製できるという研究成果を明示しているが、それを立証する画像はない。しかし、脾臓由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像Bは存在しているのだと主張しても、それだけでは、通らない。あくまでも、土俵は、論文である。

 画像Bが論文投稿前に作製されていて真正なものであることが客観的に証明され、かつ、ネイチャー誌によって論文修正が認められるのでなければ、主張は、通らない。

 しかし、「STAP細胞」論文を発表した時点で、脾臓由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像Bが存在しているのならば、その前の時点でそれを論文に載せればいいだけの話だ。なぜ、それをしなかったのだろう。「単なる画像の掲載ミス」などという単純な話なんだろうか。

 以上のことは、科学の世界、科学者の世界の本質、根幹に関わることである。

 したがって、「脾臓由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像Bを載せるべきなのに、骨髄由来の細胞から作製したスタップ細胞の画像A2を載せてしまったのは、単なる画像の掲載違いであってねつ造ではない」旨の小保方弁護団の主張は、受け容れられない。

 よって、論文不正のねつ造認定は動かない。

 

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